2010年08月21日

2010年8月19日/イーグルス


ワーナーミュージック・ジャパン

8月19日は、一家に一枚と言われたアルバム。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を特集してお届けします。
当時、一家に一枚って言われたのは、この他に「およげ!たいやきくん」ぐらいですからね。
とにかく、一般にはこの一曲でイーグルスの名を世に知らしめたと言っても過言じゃないでしょう。
このアルバム「ホテル・カリフォルニア」、当時はレコードで持っていました。夏に合うのかな、ちょっと怖い噂もあったんですよ。
アルバムの中面にはホールに人が賑わっている写真があるんですよ。
で、そのホールの2階部分。ちょうどテラスみたいになっている所に、写ってはいけないものが写っていたとか、いないとか。。。
実際、アルバムではその部分が確認できるんだけど、実際、その人が本当にそこに居たのかどうかは定かではないんですよね。
ただ、当時はすごく有名な話だったんですよ。
このアルバム「ホテル・カリフォルニア」はイーグルスが1976年にリリースした5枚目のアルバムになります。
同年1976年のグラミー賞最優秀レコード賞を受賞し、イーグルスの代表曲というのはもちろんのこと、ウエストコーストミュージックにとどまらず、アメリカン・ロック史に残る名盤と言われています。
イーグルスは1971年に結成され、1980年に一度解散して、1994年に再結成されました。
メンバーも多少の変更があって、この「ホテル・カリフォルニア」をリリースした1976年は、グレン・フライ、ランディ・マイズナー、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、そしてホテル・カリフォルニアのボーカルをとったドラムのドン・ヘイリーでした。
さて、結成時の話ですが、1971年にリンダ・ロンシュタットのバンド編成のためにミュージシャンが集められた事があって、そこに後のメンバーとなる、グレン・フライ、ドン・ヘイリー、ランディ・マイズナー、バーニー・リードンの4人が顔を合わせたんですね。その後彼らは独立して1971年8月にリンダ・ロンシュタットが所属していた「アサイラム・レコード」からイーグルスとしてデビューしました。
デビュー当時はカントリーロックのイメージがつよく、ファーストアルバム「イーグルス・ファースト」にはバンジョーやスティールギター、マンドリンといった楽器が使われていたそうです。
カントリーロック路線のまま1973年に2枚目のアルバム「ならず者」をリリースしましたが、1974年にリリースされた3枚目のアルバム「オン・ザ・ウォーター」では、ハード・ロック志向の強いプロデューサー・ビル・シムジグが加わった事で、今までのイーグルスのイメージが変わっていったんですね。
そして4枚目のアルバム「呪われた夜」ではまだカントリー色が強いものの、1975年にバーニー・リードンが脱退し、元ジェイムズ・ギャングのメンバーだったジョー・ウォルシュが加わったことで一気にハード・ロック色を強める事になりました。
4枚目のアルバム「呪われた夜」のあと、いよいよ世紀の名盤「ホテル・カリフォルニア」が生まれるわけですが、その前に4枚のアルバムからなったベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ1971-1975」が全米だけでも3千万枚近い売り上げがあり、全米でもっとも売れたアルバムとして初のプラチナ・ディスクになりました。
5枚目のアルバム「ホテル・カリフォルニア」は、こうした波に乗った状態で生まれたアルバムなんですね。
イーグルスはこのベストアルバムと「ホテル・カリフォルニア」の大ヒットで確固たる地位を築いたわけですが、ホテル・カリフォルニアという曲があまりにも有名になりすぎてしまいます。
そして1982年に解散。1994年に再結成しますが、やはりファンが求めるのは新曲ではなく「ホテル・カリフォルニア」だったんですね。今もイーグルスは活躍していますが、もちろん熱狂的なファンは彼らイーグルスを応援していることは事実ですが、「ホテル・カリフォルニア」に酔いしれたにわかファンは離れてしまいました。

オンエアはコチラ
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ホテル・カリフォルニア
駆け足の人生
時は流れて
ニュー・キッド・イン・タウン
暗黙の日々
お前の夢みて
素晴らしい愛をもう一度
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来週は「ブロンディー」を特集してお届けします。  


Posted by Kohzoh Usami at 15:19Comments(0)番組内容

2010年08月13日

2010年8月12日/阿川泰子


ビクター音楽産業

8月12日にお届けした「ジャズ・バラッド」は1987年にリリースされたジャズ入門編とも言えるアルバム。
阿川泰子は1951年生まれのジャズ・シンガーで元は女優さんなんですね。旧の芸名として「麻里とも恵」「麻里ともえ」「佐藤康子」がありました。趣味が絵画・イラスト・エッセイということです。
彼女は洋画家の一人娘として生まれているんですね。だから趣味に絵画があるのかもね。小学校の頃から名古屋で育ち、文学座の演技研究所の12期生として演劇を学んでいます。同期生としては、松田優作や高橋洋子がいたそうですよ。
で、のちに映画がテレビのドラマに出演しているんですが、ある日、銀座にある「ファンファン」という店でジャズに出会いました。
その後は女優業のかたわらジャズシンガーとして活躍し、「鈴木章治とリズム・エース」の専属シンガーになります。その後、ソロ・シンガーとなって六本木や赤坂のライブ・スポットで脚光を浴びるようになりました。
そして1978年に「ヤスコ/ラブバード」で歌手デビューを果たしたんですね。
デビュー後、ビクターのバックアップの元で数々の有名アーティストとセッションしています。名前をあげるだけでも驚きのアーティスト達ですよ。トミー・フラナガン、ローランド・ハナ、ジョージ・ムラーツ、ロン・カーター、セルジオ・メンデス、ネイザン・イースト、ジョー・サンプル。すごいメンバーですよね。
こうして歌手業の方が忙しくなった阿川泰子は女優業を実質休業状態となりました。
女優業を休業した阿川泰子は自らのバックバンド「フラミンゴ・ビッグ・バンド」を結成。ますます歌手業を充実させていきました。
スタンダード曲を現代的にアレンジして歌うコンセプトが受け、その声質から「シュガー・ボイス」と呼ばれていたそうです。
たしかに、シュガー・ボイスって言うのがしっくりきますね。この頃からCMに曲が使用されたり、自らも出演したりと、ジャズ・ボーカル分野ではアイドル的人気を博しました。
放送中も、彼女のふわっとしたイメージは自然と語りをのんびりさせます。昼の番組にもかかわらず、スタジオ内は夜のまったりした雰囲気になりました。

オンエアは以下のとおり
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BUT BEAUTIFUL
MOONLIGHT SERENADE
THE FIRST TIME EVER I SAW YOUR FACE
ALFIE
SAVING ALL MY LOVE FOR YOU
STAR DUST
IN A SENTIMENTAL MOOD
IF YOU NEVER COME TO ME
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来週はイーグルスを特集してお届けします。

■箸休めコーナー■
夏休みの宿題「写生のヒント」
まず、画用紙。たいていが4ツ切と言われる大きさの画用紙かな。
これ、学校から持ち帰る時にはほとんどが丸めて持って帰って来ていると思うんですよ。
これでは絵が描けません。癖のついた画用紙はなかなかまっすぐはならないんですよね。もし画材屋さんで購入するなら、なるべく大きく丸めて持って帰ってください。そして、描く時は画板が必要になります。ようは台ですね。
さて、準備ができたところで、まず鉛筆で下書きを始めるわけだけど、風景画の場合、遠くにあるものは薄く、手前にあるものは濃く描くことが大切です。鉛筆にも強弱が必要って事ですね。
そして、一番描きたい物を真ん中ではなくちょっとヨコにふって書きましょう。少々線が歪んでも気にせずにね。
言葉では説明が難しいんだけど、書きたいテーマを引き立たせる為には、それを引き立たせるモノが必要になります。
ようは空間を生かすことで、書きたいモノを引き立たせるという技術です。
たとえば強いヒーローが居たとします。でも、それに負ける敵がいて初めて強いと分かるでしょ。
比べるモノが必要なんですよ。絵の画面も同じことなんですよ。
比較できるモノを画面に入れる事で、書きたいモノの大きさや美しさ、そういうモノが際立たされる訳ですね。


構図がうまく決まれば、次は色つけです。
色つけは遠くにある場所からなるべく薄い色を乗せていきましょう。手前にくるほど濃く描く感じです。
遠近感ってヤツですね。これを意識すれば絵の見栄えは数段よくなりますよ。  


Posted by Kohzoh Usami at 10:09Comments(0)番組内容

2010年08月06日

2010年8月5日/ダウン・タウン・ブキウギ・バンド


EMIミュージック・ジャパン

8月5日お届けしたのは、ダウン・タウン・ブキウギ・バンドのベストアルバム「ヴィンテージ」。
8月に入って初めての放送は、私個人が夏を感じる曲をお届けしたく、今回のアルバムをチョイスしました。
その夏を感じる曲とは1977年3月にシングルリリースされた「サクセス」。
曲の冒頭「♪ブラインドいっぱい開けた部屋では〜」ここからギラギラした夏を感じたものです。
まだ学生だった私にとって、この曲は夏を感じ、大人を感じた曲でもありました。当時、化粧品のCMソングとしてテレビで初めて聴いたものです。

さて、このダウン・タウン・ブキウギ・バンド。もともとこの長い名前は、1972年末に「サディスティック・ミカバンド」に対抗して宇崎竜童が思いついた名前で、当時のバンド仲間に「ダウン・タウン・ブキウギ・バンド」でメジャーデビューしようと持ちかけたものの、メンバーが怖じけ付いた為、当時のアマチュアバンドは解散。その後、メンバー探しに奔走して1974年のデビューとなったそうです。
1974年4月のデビュー曲は「知らず知らずのうちに」でした。
また、のちのヒットとなった「スモーキン・ブギ」。それ以前は、古く笠置シズ子の買い物ブキ等がありましたが、当時の私にとっては新鮮なものでした。
ちなみに、このブキウギ。これはブルースから派生したジャズ音楽のひとつ。ブルース・ピアノの奏法で、左手で8分音符のベース・ラインを弾き、右手はメロディーをフェイクしていく。これがスタイルとして定着すると、アップ・テンポのブルースやロックンロール全般を指す言葉になったそうで、1920年代後半にシカゴのピアニストによりアフリカ系アメリカン人の間で流行したそうです。(音楽用語辞典調べ)

それからリーダーの宇崎竜童と阿木曜子が作り出す楽曲も忘れてはいけません。実に多くのアーティストに多種多様な楽曲を提供していますが、やはり有名なのは山口百恵。彼女の後半の楽曲はほとんどがこの二人だったと思います。
その他には一例として、木之内みどりの「硝子坂」のちに高田みずえがカバーしましたが、高田みずえの方が有名かな。それから、研なおこの「愚図」、郷ひろみ「禁猟区」、ジェロ「海雪」、内藤やすこ「思い出ぼろぼろ」、薬師丸ひろ子「紳士同盟」、由紀さおり「う・ふ・ふ」等々

オンエアはコチラ
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知らず知らずのうちに
恋のかけら
涙のシークレット・ラヴ
沖縄ベイ・ブルース
サクセス
愛しのティナ
身も心も
トラック・ドライヴィング・ブギ
涙のヴァイア・コンディオス
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来週は阿川泰子を特集してお届けします。  


Posted by Kohzoh Usami at 01:18Comments(0)番組内容

2010年08月02日

2010年7月29日/石川セリ


ビクターエンターテイメント

7月29日は、昔私が友達に教えてもらった曲「ムーンライトサーファー」を聴きたくてチョイスした石川セリ。
私自身「ムーライトサーファー」以外の石川セリの曲は知りませんでしたが、今回、ベストアルバムを聴いてけっこうハマりました。
石川セリは1972年、映画の主題歌「八月の濡れた砂」同名タイトルでデビューしました。本名は石川セイディ。
特集したのは2003年にリリースされた石川セリのベストアルバムです。
改めて聴くとCMソングがけっこう多いですね。サビのフレーズを聴けばけっこう覚えている曲も多かったです。
「ムーンライトサーファー」を石川セリの唯一知っている曲と言いましたが、井上陽水作詞・作曲の「ダンスはうまく踊れない」は有名でしたね。また、この曲のエピソードが面白く、結婚前、付き合っていた頃に、石川セリの気を引こうとして、目の前で30分位で作った曲なんです。もちろん石川セリ自身にプレゼントしました。
でも、後に高樹澪がカバーした事で、「私の為の曲をなんで歌うのよ」って激怒したそうです。

オンエアは以下のとおり
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いろ、なつ、ゆめ
キ・サ・ラ恋人
BOY
ヘルミーネ
ムーンライトサーファー
ミッドナイト・ラブ・コール
朝焼けが消える前に
フワフワ・Wow・Wow
ダンスはうまく踊れない
セクシー
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来週8月5日はダウンタウン・ブキ・ウギ・バンドを特集してお届けします。  


Posted by Kohzoh Usami at 12:27Comments(0)番組内容