2010年10月29日

2010年10月28日/ローリング・ストーンズ


東芝EMI

ロックの代名詞敵存在のローリング・ストーンズを特集してお届けしました。
デビューはなんと1962年。1度も解散することなく第一線で活躍するという、すごいバンドでもあります。
イギリスはロンドンのロックバンドで、よくビートルズと比較されますね。ビートルズが優等生なら、このローリング・ストーンズはちょっとやんちゃな感じ。もちろんどちらも素晴らしいバンドですよ。
世代的には私より上の人達になるんでしょうか。なのであまり詳しくはないし、ビートルズと同じように多くのマニアがおられるので、あまりいい加減な事もお話できませんが、今日は私たちなりのローリング・ストーンズを紹介したいと思います。
ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは黒人音楽のブルースにあるそうで、デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーだそうです。
チャック・ベリーはギタリストで、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリーらと並び、ロックンロールの創始者の一人と言われている人で、なんと現在84歳。まだ現役のようですね。
ローリング・ストーンズがデビューした1960年代、アメリカでは、まだまだ黒人差別というのが根強く、ブルースのレコードジャケットに黒人の顔写真を載せてはならない、という慣習のある州さえ多かったそうですが、そんな時期に、イギリス出身の白人が、黒人の音楽であるブルースを心から尊敬して、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドが、このローリング・ストーンズなんですね。さらにブルースだけではなく、モータウンやスタックスと言ったレコード会社に代表される同時代の黒人音楽も吸収したそうです。
このローリング・ストーンズ、デビューの時はなんとビートルズの助言があったそうなんです。ビートルズはストーンズよりも2年早い1960年のデビュー。当時、アマチュア時代のストーンズを見てライブの休憩時間に意気投合し、ビートルズの宣伝を担当していたアンドリュー・ルーグ・オールダムにスカウトを勧めデビューする事になったそうですよ。
こうしてビートルズの助言でデビューする事になったストーンズ。彼らのマネージャーになったオールダムはビートルズとは違ったスタイルでストーンズをデビューさせました。
ビートルズは衣装を揃え、今で言うアイドル路線だったのに対し、あえて衣装は統一せず、一般の人の普段着のような服装、そして髪をきれいにカットせず伸ばし放題にするように指示したそうですよ。ようは不良っぽい感じですね。不良っぽい格好でステージに立ったストーンズ。それは当時てしはかなり過激な格好だったようで、ストーンズを真似た髪型を禁止する学校さえあったそうです。

オンエアはコチラ
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Start Me Up
Brown Sugar
Miss You
Fool To Cry
It's Only Rock N' Roll (But I Like It)
Angie
Undercover Of The Night
Emotional Rescue
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2010年10月26日

2010年10月21日/サーカス


日本コロムビア

1978年にデビューしたコーラスグループ「サーカス」を特集してお届けしました。
もちろん現在も活動していますが、デビュー当時は3兄弟と従姉というメンバーでしたが、今は3兄弟と次男の奥さんという親族メンバーで活動しています。
さてサーカスのデビューが1978年と申しましたが、実は前の年1977年に仮デビューというのをやっているんですね。この時のメンバーは親族ばかりではなかったようですよ。ご存知のようにサーカスのハートウォーミングなコーラスと個々の歌唱力は高く評価されているんですよね。
私の中では日本版のマンハッタン・トランスファーみたいだなぁなんて思ってます。
今回の放送にむけて色々と調べてみましたが、サーカスの情報というのは意外と少ないようで、この日はとにかく曲をお届けすることに専念しました。

オンエアはコチラ
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アデュー
ミッドナイト・フリーウェイ
マイ・シンプル・ライフ
Mr.サマータイム
サルバドール紀行
アムール
アメリカン・フィーリング
二人だけ
去りゆく夏
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2010年10月14日

2010年10月14日/シーナ&ロケッツ


スピードスターワン

1978年デビューのジャパニーズ・ロック・シーナ&ロケッツを特集してお届けしました。
知名度としてはどんなもんでしょうか。まだ現在も活動中なんですが、ライブが中心であまりテレビには出ていないので知らない人の方が多いかも知れませんね。
特にロックに興味のない人は、たぶん今日初めて聴く曲ばかりかもしれません。
ただ、色んなジャパニーズ・ロックがある中、私にとってシーナ&ロケッツはポップス寄りではなく、純粋なロックなんじゃないかなって思ってます。でも、そんなにハードじゃないですよ。
このシーナ&ロケッツを語る上で外せないのが、ボーカルのシーナはもちろんですが、まずは鮎川誠です。
ギタリストで作曲家でボーカルで俳優なんです。と言ってもほとんどギタリストと作曲家としての活動が多いんだけど、昔、テレビコマーシャルに出ていた事もあるし、映画も何本か撮っているんですよね。
なんといってもその風貌が印象的で、長身で細長い顔をしていて、いつも真っ黒なサングラスをしています。そして、話す言葉はバリバリの九州弁。筑後弁らしいですよ。
父親がアメリカ軍人というハーフなんですが、その容姿を見れば頷けますね。
ボーカルのシーナは鮎川誠の妻で、もちろんシーナ&ロケッツのメインボーカルです。この人・シーナの容姿も独特と言うか、昔はすごい髪型でしたね。まるでライオンのような、うまく言えないけどそんな感じです。
本町ラグタイムのオーナー・うさぎさんのイメージもあるかなぁ~。知る人ぞ知るって感じだけど(笑)

シーナ&ロケッツの曲は、どの曲も歌詞がはっきり聴き取れるでしょ。これがスゴイと思うんですよ。
当たり前と言えばそうかも知れないけど、ことロックな曲は何を言っているか解らないのが多い中、わりとアップテンポな曲なのにしっかりと歌詞を歌ってるんですよね。この辺が好きなところかな。
さて、このシーナ&ロケッツ。バンド名の由来はシーナの本名「悦子」と「ロック」を掛け合わせて「ロケッツ」とし、それだけじゃ寂しいからと、その前にメインボーカルの「シーナ」の名前をつけたんですね。
それから、1979年に「ユー・メイ・ドリーム」がブレイク。アメリカ、フランスでもレコードデビューしています。
1980年代はテレビでも音楽番組がたくさんあって、いくつかの番組に出演していますね。シーナと鮎川誠のキャラクターの面白さ、気さくさもあってトーク番組にも出ていたと思いますよ。

オンエアはコチラ
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SWEET INSPIRATION
PRETTY LITTLE BOY
LET'S GO PLAZA
A MAIN LOVER
DOO WAP DANCE
LEMON TEA
TIME LIMITED BOMB
YOU MAY DREAM
BIG BEAT
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2010年10月14日

2010年10月7日/ビリー・ジョエル


Sony Music Direct

青春時代ど真ん中だったアーティスト・ビリー・ジョエルを特集してお届けしました。
ビリー・ジョエルと言えばアメリカのメジャー・ポップシンガーとして不動の地位を築いていますが、活動は1971年からスタートして今も現役で活躍されていますね。
さて、ビリー・ジョエルなんですが、戦時中、アメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人の父とイギリス系ユダヤ人の母を持ち、1949年ニューヨークはブロンクスで生まれました。14歳から音楽活動を初めましたが、なかなか成功せず、精神衰弱から入院したりと苦労したようですね。
そして1971年、アーティ・リップに才能を見いだされファーストアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」をリリースするも、勝手に録音速度を変えられとてもビリー・ジョエルの声とは思えないようなアルバムになったそうです。もちろん、ヒットする事もなく、またまた人間不信におちいり鬱病が進行して自宅に引きこもる毎日を過ごしたそうですよ。
その後、名前をビル・マーティンとして、クラブを中心にライブ活動をしている時に、コロムビア・レコードと契約。そして1973年にセカンドアルバム「ピアノ・マン」で再デビューしました。そしてゴールド・ディスクに輝き、後のヒット曲をがんがん出す元となったようですね。

オンエアはコチラ
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【マイ・ライフ】この曲は1978年にリリースされた通算6枚目のアルバム「ニューヨーク52番街」に収録されている曲で、このアルバム「ニューヨーク52番街」は全米チャート1位に初めてなったアルバムで今お届けした「マイ・ライフ」は全米3位に輝いています。

【オネスティ】日本では有名な曲ですが、全米チャートでは24位だった曲です。それでもすごい事なんですよ。この「オネスティ」の歌詞なんですが、世の中が不誠実にあふれ、誠実さを得ることは難しいが、それでも誠実さを求めていく と言った内容の歌詞なんです。
特に日本では人気で、アメリカ版のベストアルバムには収録されませんでしたが、日本版には収録されていたんですね。それからテレビCMにも使われていました。

【あの娘にアタック】この曲はビリー・ジョエル通算9枚目のアルバム「イノセント・マン」に収録されている曲で、1983年の作品です。原曲タイトルは「テル・ヒィア・アバウト・イット」。ノリのいい曲ですよね。こういうの聴いていると、エルトン・ジョンと似てるなぁって思います。このアルバム「イノセント・マン」は全米で4位、全英で2位に輝き、シングルカットされた「あの娘にアタック」は全米1位に輝きました。

【アップタウン・ガール】この曲もシングルリリースされ、全米3位、ビルボード誌1983年年間ランキングで18位、イギリス週間チャートでは1位に輝きました。テンポいい曲ですよね。

【ストレンジャー】ビリー・ジョエルにとって通算5枚目のアルバムで、大ブレイクしたアルバムで、全米アルバムチャート2位に輝きました。
このアルバム「ストレンジャー」は当時のコロムビア・レコードでもっとも売れたアルバムとなりました。
それから、日本ではちょうどディスコブーム。このストレンジャーに統一振り付けをして、そろって踊っていたそうですよ。

【ガラスのニューヨーク】この曲は、1980年にリリースされた通算7枚目のアルバム「グラス・ハウス」に収録されている曲で、シングルリリースされ全米7位になりました。

【シーズ・ガット・ア・ウェイ】ファーストアルバム「コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人」に収録されている曲です。このアルバム自体、ちゃんと聴いた事がないのですが、2曲目にある「ユー・キャン・メイク・ミー・フリー」という曲がテープの回転数を早めて収録されていたそうですよ。

【ピアノ・マン】1973年にリリースされたセカンドアルバム「ピアノ・マン」に収録されている曲で、ビリー・ジョエル自身の初のシングルリリースされた曲でもありました。この時は全米25位になっていますね。
ビリー・ジョエル自身、この曲を大切にしていて、最近までライブの定番曲となってまいました。  


Posted by Kohzoh Usami at 20:24Comments(1)番組内容

2010年10月14日

2010年9月30日/ピチカート・ファイブ


SONY

1984年から2001年まで活動していたグループ・ピチカート・ファイブ。その中でもソニー在籍時代にリリースされたベスト・アルバム「アンティーク96」を特集してお届けしました。
今日お届けするのは、ピチカート・ファイブを知っていると言う方でもあまり聞いた事がない曲が多いかもしれませんね。
そもそも、このピチカート・ファイブ自体が国内ではあまり有名じゃないのかも知れませんが、実は欧米諸国では人気あるんですよね。
あのミック・ジャガーがピチカート・ファイブのファンだというのも以外と知られていない事実。
1990年、渋谷系と言われたグループですが、自らを「ハッピー」「キャッチー」「グルーヴィー」「ファンキー」と形容していたそうです。もうひとつ意味がわからないんだけどね。
このピチカート・ファイブ、デビューから解散まで、けっこうメンバーチェンジしているんだけど、その名前に触れるよりも、彼らを取り巻く人々に焦点を当てた方が面白いんですよね。
まず、元YMOの細野晴臣がプロデュースしていたり、映画「チャーリーズ・エンジェル」や「プレタポルテ」でピチカート・ファイブの楽曲が使用されるなど、ほんと海外での評価が高かったんですよね。
今日はコメントが難しいですね。うまく言えないけど、パステル調の絵みたいな感じです。
色鉛筆で描いたような、パステルカラーで描かれたふわっとした絵。そんな感じの曲が多いですね。
絵画で言うと、スーラーの絵をもっとポップにした感じ…余計伝わらないかな。
今回はピチカート・ファイブのソニー在籍時代のベストアルバム「アンティーク96」を特集してお届けしました。
どの曲もふわっとした感じの曲ばかりでしたね。私自身そんなに詳しくはないんだけど、前に聴いてからなんか印象に残っていたので、今日はラジオの前のアナタにも聴いてもらいたくって特集してみました。

オンエアはコチラ
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キスキス・バンバン
憂鬱天国
皆笑った
惑星
アパートの鍵
ワールド・スタンダード
ラヴァーズ・ロック
恋のテレビジョン・エイジ
7時のニュース
眠そうな二人
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2010年10月14日

2010年9月23日/KISS


Casablanca 写真はセカンドアルバム「Dressed To Kill」

1973年に結成されたハードロックバンド、私が学生の頃からこよなく愛するKISSを特集してお届けしました。
しかも、お昼の番組でハードロックはちょっとキツイかなと思い、今日のチョイスはかなりマニアック。なかには日本全国のラジオ局でも流れた事のない曲もあるかも知れませんよ。
まず、オープニングタイトルでお届けした曲は、1978年にKISSメンバーがそれぞれリリースしたソロ・アルバムの中からリードギタリスト・エース・フレーリーの「ニューヨーク・グルーヴ」でした。
KISSは4人のメンバーで構成されているロックバンドですが、まず、ボーカル・ギターのポール・スタンレー、ボーカル・ベースのジーン・シモンズ、ボーカル・ドラムのピーター・クリス、そしてさきほどお届けしたリードギターのエース・フレーリーです。もちろん今も活躍するバンドですが、何度かメンバーチェンジがありました。でも、私にとってのKISSはこの4人なんですね。

オンエアはコチラ
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【Beth】1976年にリリースされた4枚目のアルバム「デストロイヤー」に収録されている名曲です。ステージ中央で椅子に座って歌い上げるピーターが印象的でした。

【Sweet Pain】ひょっとしてラジオから流れたのが初めての曲かも知れませんね。ボーカルはベースのジーン・シモンズ。

【Hooligan】この曲は1977年にリリースされた6枚目のアルバム「ラブ・ガン」に入っている曲で、ライブではよくやっている曲なんですよね。ボーカルはドラムのピーター・クリス。個人的には彼の歌が好きなんですよ。
このラブ・ガンって言うアルバムは、アルバムタイトルでもあるラブ・ガンが大ヒットしているので、タイトルだけは聞いた事があるかも知れませんね。

【Then She Kissed Me】この曲もラジオ初な気がします。ボーカルはメインボーカルのポール・スタンレー。ちょっと紹介が遅れたけど、彼ら4人はまずその奇抜なメイクが有名で、日本のセイキマツなんかは、私に言わせれば和製KISSなんですよね。その独特な衣装・メイク・ステージ。学生の頃、その風貌にやられちゃいました。

【Hard Luck Woman】この曲は1976年にリリースされた5枚目のアルバム「ロックン・ロール・オーバー」からシングルカットされた曲です。
ボーカルはハスキーな歌声からも分かるように、もちろんピーター・クリス。

【Ladies Room】これは結構有名な曲で、前半最後に紹介したアルバム「ロックン・ロール・オーバー」に収録されています。この曲はライブでは定番で、合間に入るカウベルの音にあわせて、ポール・スタンレーが腰を振って踊る姿が有名なんですよ。ボーカルはジーン・シモンズでした。

【Down On Your Knees】この頃はKISSの低迷期でした。新曲も何か乗り切れてない感じでしたが、この「闇の祈り」のギターが好きなんですよね。

【Shandi】この時代ユーロビートブームで、アルバム「仮面の正体」に収録されている曲はKISSらしくないのが多いんですよね。
この前に発売されたアルバム「地獄からの脱出」もユーロビートが多く、最近、カメラのCMでも使われていた「ラヴィン・ユー・ベイビー」も収録されていました。

【Into The Void】ボーカルはリードギターのエース・フレーリー。このアルバム「サイコ・サーカス」は、日本向けのみボーナス・トラックとしてエース・フレーリーの曲がもう1曲入っているんですよね。さらにアルバム自体が日本版の初版のみポップ・アップ3Dジャケットでした。  


Posted by Kohzoh Usami at 19:05Comments(0)番組内容

2010年10月06日

2010年9月16日/大橋純子


ユニバーサル インターナショナル

今日は昭和歌謡のにおいがプンプンする大橋純子のシングルを特集してお届けします。
大橋純子は1952年北海道生まれで、大学時代はハードロックを歌っていたそうですが、セルジオ・メンデスやジャニス・ヂョブリンの影響を受けて、ソウルフルな歌唱に傾倒し、その頭角を現したそうです。
1曲目は「鍵はかえして!」。この曲は1974年にシングルリリースされた曲です。ちなみにファーストアルバムはフィーリングナウでした。
しかし、テレビ等でブレイクするのに1978年まで待たなければなかったようですね。
そして1976年リリースのアルバム「ペイパー・ムーン」からのシングルカットされた曲「ペイパー・ムーン」が自身の初ヒットの曲となったそうです。
そして、スマッシュヒットとなったシンプル・ラブ」。この曲は大橋純子と美乃家セントラル・ステイションという名前で活動していた時の曲ですね。もちろんシングルリリースされています。シンプル・ラブ、1977年の曲でした。
さらに1978年リリースの「たそがれマイラブ」。テレビでもおなじみでしたよね。それにテレビドラマの主題歌としても聴きなじみがあると思います。この頃から大橋純子の露出度も増えましたね。
ここからはヒット曲が多いですが、まずは1978年にシングルリリースされた「サファリナイト」、1981年リリースの「シルエットロマンス」と、大橋純子の黄金期を飾りました。

オンエアはコチラ
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鍵はかえして!
ペイパー・ムーン
坂の上の家
キャシーの噂
シンプル・ラブ
ミスター・スマイル
たそがれマイラブ
サファリナイト
シルエットロマンス
黄昏
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Posted by Kohzoh Usami at 00:06Comments(1)番組内容

2010年10月05日

2010年9月9日/サイモン&ガーファンクル


Sony Music Japan

今日お届けするのは、サイモン&ガーファンクル。映画「卒業」の挿入歌として「サウンド・オブ・サイレンス」で一躍有名になりましたね。優しい歌声が印象的な男性デュオ。ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは1964年にアルバム・水曜日の朝・午前3時でデビューしました。
今日は数あるサイモン&ガーファンクルの楽曲の中からベストといえる曲をチョイスしてお届けします。
まずは「ミセス・ロビンソン」。この曲は1968年にリリースされたアルバム「ブックエンド」に収録されていた曲で、イントロが印象的ですよね。この曲も映画「卒業」の挿入歌です。
さて、このサイモン&ガーファンクル。ニューヨーク生まれで小学校の頃からの親友だそうです。まず、1957年に二人で「トム&ジェリー」を結成。当時の芸名はポールが「ジェリー・ランディス」、アートが「トム・グラフ」と名乗っていました。この「トム&ジェリー」でデビュー曲の「ヘイ・スクールガール」を小ヒットさせたあと、大学での学業に専念しますが、1963年に再びコンビを組み、1964年にサイモン&ガーファンクルと改名しました。
そして「スカボロー・フェア」は、イギリスの伝統的なバラードで、16・17世紀に「エルフィナント」という古いバラードを作り替えたものと言われているそうです。吟遊詩人が町から町へと歌を伝えるうちに内容もかわり、多くの詩が生まれました。
このサイモン&ガーファンクルが歌うスカボロー・フェアは、19世紀末に生まれたものだそうですよ。
次に「アイアム・ア・ロック」。これは古い曲なんですよ。1966年にシングルリリースさせた曲で、もともとポール・サイモンがイギリスでソロ活動していた頃に発表したソロ・アルバム「ポール・サイモン・ソングブック」に収録されていた曲なんですね。この曲は全米トップ10入りするヒット曲となりました。
名曲「コンドルは飛んでいく」。この曲はアンデスのフォルクローレの代表曲で、1970年にサイモン&ガーファンクルがカバーしシングルリリースしました。
アンデスの乾いた大地の情景が浮かんでくるような曲ですよね。
そして、「サウンド・オブ・サイレンス」。この曲は1965年にシングルリリースされ、1966年1月にはビルボード週間ランキングで第1位を獲得。1966年の年間ランキングでは第25位になりました。
それよりも、やはり映画「卒業」の挿入歌としての方が有名ですよね。ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロスの代表作品のひとつだと思います。印象的なのはなんといっても最後の教会での結婚式のシーン。教会のガラスを叩きながら叫ぶ「エレーン、エレーン」。あ、彼女の名前ね。そして、花嫁を連れ去り教会を後にして乗り込んだ長距離バスのバックシート。この映画、オススメですよ。もし観た事がないという方がいましたら、ぜひ見てくださいね。
残念ながら、1970年にポール・サイモンとアート・ガーファンクルの音楽に対する考え方の相違でコンビを解消し、それぞれがソロ活動を始めました。

オンエアはコチラ
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Mrs. Robinson
Scarborough Fair/Canticle
Cecilia
I Am A Rock
America
The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy) [Live]
El Condor Pasa (If I Could)
The Sounds Of Silence [Live]
Homeward Bound [Live]
Kathy's Song [Live]
The Boxer
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Posted by Kohzoh Usami at 02:03Comments(1)番組内容

2010年10月05日

2010年9月2日/フォーク特集

さて今日お届けするのは、フォーク特集。ちょうど次の9月5日の日曜日にモンティグレで第2回フォークソングサーカスが開催されますが、ちょっと早めに今日はフォークソングを聴いてもらって、日曜日に向けてちょっと気持ちを高揚したいと思います。
それから、今日のチョイスはたかちゃん。フォークソングたかちゃん特集ですね。
たかちゃんのお兄さんが若い頃フォークをやっていて、たかちゃんもその影響を大きく受けたようです。
今回のチョイスはすべてたかちゃんですが、感覚で選んだそうなので、特に思い出があるとかじゃないそうなんです(笑)

オンエアはコチラ
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吉田拓郎「旅の宿」
吉田拓郎「おきざりにした悲しみは」
バンバン「いちご白書をもう一度」
紙ふうせん「冬が来る前に」
五輪真弓「恋人よ」
因幡晃「わかって下さい」
ガロ「学生街の喫茶店」
井上陽水「夢の中へ」
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Posted by Kohzoh Usami at 01:54Comments(0)番組内容

2010年10月05日

2010年8月26日/ブロンディ


EMIミュージック・ジャパン

妖艶なアーティストといえば、シンディ・ローパーと今回お届けしたブロンディーのデボラ・ハリーではないでしょうか。
楽曲で言えば、ブロンディーの方がさらに妖艶かも。
さて、このブロンディー。実はバンド名でして、ブロンディーと聞いて女性の名前だと思っている方も多いようですが、ボーカルをとっているのは先にもお話したデボラ・ハリーなんですよね。
しかも、このバンド名に合わせて赤毛だった髪の毛をブロンドに染めているそうですよ。
1974年、当時ガールグループ「スティレットーズ」に所属していたデボラ・ハリーとバックバンドにいたクリス・シュタインが中心になった結成しました。
デビューアルバムは邦題で「妖女ブロンディ」。この表記でもすでにバンドって思わないですよね。ブロンディが妖女だって言ってますものね。
実際、私自身もソロシンガーだと思ってました。そして1曲目にお届けした「ハート・オブ・グラス」が1979年にブレイクして一躍有名アーティストの仲間入りとなりました。
日本でブロンディーの名を世に知らしめたのは、なんと言っても映画「アメリカン・ジゴロ」の主題歌にもなった「コール・ミー」じゃないかと思います。
映画のヒットもあって、アメリカ・イギリスではナンバー・ワンヒットとなっています。
しかし、この頃、メンバーのクリス・シュタインが病に倒れ、デボラ・ハリーが看病のためにとバンドを解散してしまいます。
のちに1998年に再結成して現在に至っています。

オンエアはコチラ
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Heart Of Glass
Denis
The Tide Is High
In The Flesh
Rapture
Sunday Girl
Call Me
Dreaming
Hanging On The Telephone
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Posted by Kohzoh Usami at 01:44Comments(0)番組内容